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  •      教会・幼稚園のご紹介

 

所在地

北海道滝川市大町5丁目2-32 TEL 0125-23-4790 FAX 0125-23-5721
 

 
 

概 要 
 

 滝川教会は、当時の砂川教会主任司祭ヒラリオ・シュミット師の宣教拠点をこの地に設けたいとの熱意と尽力によって、1973年5月に開設、献堂された。初代主任司祭に同師が就任し、砂川教会から使徒53人が移籍した。
 当教会は列聖前の福者マキシミリアノ・マリア・コルベ師を日本の教会として初めて教会保護聖人に仰いだ。
 教会創設以来現在に至るまで、家庭集会「ロザリオ会」が続けられており、「祈りの教会」とよばれるのにふさわしい教会である。
 1979年、滝川教会を母体教会として深川市7条5丁目6(TEL01642-3-3410)に巡回教会が設けられている。
 
 

沿 革 

1972年(昭和47年) 8月 1日  滝川教会建設工事着工
1972年(昭和47年)10月31日  滝川教会の建物完成
1972年(昭和47年)10月31日  浜本和子さん  カテキスタとして着任
1973年(昭和48年) 5月13日  献堂式 コルベ神父様を教会保護者とする 。
1973年(昭和48年) 5月28日  ヒラリオ神父様 初代主任司祭着任
1978年(昭和53年)11月  1日  マンフレッド神父様2代目主任司祭着任
1978年(昭和53年)12月末    木彫りのマリア様完成
1979年(昭和54年) 2 月  2日   深川、赤平に集会所開設
1979年(昭和54年) 5 月      玄関前の舗装、プレハブ印刷室完成、教会玄関に大十字架を設立
1979年(昭和54年) 6月      教会前にルルドの聖母建設完成
1979年(昭和54年) 8月      教会の周りに枕木による塀建設
1981年(昭和56年) 1月     ヒラリオ神父様、3 代目主任司祭に 2 度目の着任
1982年(昭和57年) 4月 1日  大橋春美さんカテキスタとして着任
1986年(昭和61年) 4月10日  滝川子ども園開園(浜本さん)
1990年(平成2年)  4月     山野井神父様 、4 代自主任司祭着任、教会内外の改造に着手
1992年(平成4年)  5月     ローター神父様、5 代目主任司祭着任
1993年(平成5年) 10月     ゴディ神父様、6 代目主任司祭着任
1995年(平成7年)         教会の屋根に十字架玄関に案内板、教会内改造玄関前舗装
1996年(平成8年)  5月     ローター神父様、7 代目主任司祭に 2 度目の着任
1997年(平成9年)  9月27日  滝川教会25周年記念ミサ・祝賀会
 
 

沿 革(歴史写真) 

 


1972年 建設中の教会
 
 

1973年12月 クリスマス
 
  

1989年5月14日 上杉昌弘神父様ミサ
 

1981年1月 ミサ
 
 
 

1993年1月1日 年越しのミサ
 
 

   1991年5月19日 神の似姿
 
 
 

1993年冬 ロザリオ会
 
 

1997年 ルルドの前で
 
 
 
 

歴代主任司祭・出身聖職者 

 

(歴代主任司祭)

 年代・氏名         現住所


初代(1973~1978)
ヒラリオ・シュミット


富良野市桂木町3-73
富良野教会

2代(1978~1981)
マンフレッド・フデリッヒ


滝川市大町5丁目2-32
カトリック滝川教会

3代(1981~1990)
ヒラリオ・シュミット


富良野市桂木町3-73
富良野教会

 4代(1990~1991)
山野井 克栄


1991.11.1 帰天
神居センターにて

 5代(1991~1993)
ローター・ポーレンバ


 2018.1.29 帰天89歳
旭川神居フランシスコ修道院にて

 6代(1993~1996)
ゴドフレード・ブリンシベ


 
 

 7代(1996~1999)
ローター・ポーレンバ


  2018.1.29 帰天89歳
 旭川神居フランシスコ修道院にて

8代(1999~2013)
山本 孝


旭川市神居5条9-1-25

旭川神居フランシスコ修道院

9代(2013~2014)
ドミニコ・バウア


旭川市神居4条9丁目1-25
旭川カトリックセンター

10代(2014~2018)
ナルチゾ・カバッツォラ


砂川市東5条南3丁目3-1
カトリック砂川教会

11代(2018~)
 マンフレッド・フデリッヒ


滝川市大町5丁目2-32
カトリック滝川教会

 
 
 

歴代主任司祭・出身聖職者 

 

(出身聖職者)

 氏名・霊名・区分      現住所


上杉昌弘
 
司祭


札幌市東区北26条東1丁目
札幌26条カトリック教会

 
 
 

聖コベル神父の略歴 

 「友のために生命を捨てる以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15.13)
1894年ポーランド生まれ、フランシスコ会入会、1918年司祭叙階。
1930年4月末日長崎で宣教「聖母の騎士」発行。1936年ポーランドに帰国、ドイツ軍に捕らわれ、アウシュビック収容所で妻子の有る男性の捕虜が餓死刑となった。身代わりとなり、1941年8月14日絶命、隣人愛の殉教者となる。1971年列福、1982年列聖 マキシミリアノ、マリヤ、コベルベ司祭殉者。
 
 
 
 
 
 
 
 

黒い聖母 

 滝川教会の聖堂の右側の壁に、黒いマリア様のご像の入っている額があります。
両手を左右に聞かれて、苦しいときでも、悲しいときでも、嬉しいときでも、何時でもおいで、苦しみは慰めてあげます、悲しみは聴いてあげますよ、喜びは褒めてあげますと待っておられるようです。
・・・これは、昔々、もう90年も前、滝川がまだ屯田時代の寒い冬の朝、或る農家の雪の畑の中でおきました。その頃は日露戦争が終わり世情は不安定の時でした。フランスから宣 教師としてこられて、旭川から滝川地方に布教されていたウッド神父様がその農家の青年 に洗礼を授けられたのです。
この時代はキリスト教はまだ異端で、その青年は父親を激怒させ、息子は勘当されてしまいました。その後、年が経って父親は高齢になり、しぶしぶ息子と和解して同居するこ とになりました。そしてどうにか落ち着いた生活が続くかにみえました。ところが頑固な 父親にくらべ、優しく真面目な息子夫妻に好意をもっていた母親が、今度は受洗を希望するようになり、そのことを父親に洩らしました。
平素、耶蘇をニガニガしく思っていた父親の驚きは、怒髪天を衝く知くでありました。 十字架、聖書、ご像等々関係するものはみな、破り捨て、斧で叩き潰し、踏み付け、とう とう火を付けて燃やしてしまい、そして息子や孫も再び追い出してしまいました。
…家を出る息子達…懐かしい畑には雪が残っていました。そのなかに打たれ、潰され、 焼かれた聖母の御像が黒く輝いていました。
 
※詳細は、「講話」の60.日本に貢献した宣教師アルフレド.ウット神父を参照して下さい