カトリック教会について
カトリックの教えは、イエス・キリストの福音、つまり人類に対する神の愛と恵みとを告げ、そして神に対する人間の道を説いています。
キリストはユダヤの国のベツレヘムという小さな町にお生まれになりました。貧しいものの中でも一番貧しいものの間に生まれ、まぐさ桶の中に寝かされておいでになります。
天使は「おそれることはない。すべての人々の大きなよろこびの知らせを私はあなたたちに告げよう。きょうダビデの町で、あなたたちのために救い主がお生まれになった。すなわち、主キリストである。あなたたちは、布につつまれてまぐさ桶にねかせてある子供を見るだろうが、それがしるしである」と言いました。するとたちまち、天の軍勢の大群が天使に加わり「いと高き所には神に栄光、地には善意の人々に平和」と神を賛美するのでした。
キリストは、三十才になったときヨルダン川で洗者ヨハネから洗礼を受け、荒野で四十日間の間祈りと断食による準備ののち、公生活をお始めになりました。まず十二使徒を選び、かれらと共に三年の間イスラエルの各地をめぐって、み教えをおのべになりました。
第一は、神はあらゆる人々の父であり、人はみな兄弟であるから、すべての人をたとえ自分の敵であっても、お互いに兄弟として愛さねばならぬということです。
第二は、御自分が神の本性をそなえ、全人類の救い主として地上に降った神のひとり子であり、御自分によって人々が罪のゆるしを得、神御自身の生命にあずかることができるということです。このみ教えはあらゆるまことの幸福と平和、また永遠の救いの唯一の源であり、これをイエスの福音、すなわち「幸いなるおとずれ」と申します。
イエスは、十二使徒のペトロを選び「あなたはペトロである。私はこの岩の上に私の教会をたてよう。地獄の門もこれに勝てないだろう。私は天国のかぎをあなたに与えよう。あなたが地上でつなぐものはみな天でもつながれ、あなたが地上でとくものはみな、天でもとかれるであろう」と言って、教会をおさめてゆく上に絶対的な権限をお与えになりました。
イエスの御昇天の後、その使徒たちや、弟子たちはみなペトロの指導に従いました。今日に至るまでカトリック信者は、いつでも、どこでも、ペトロの後継者をキリストがお定めになった教会のかしらと認め、キリストの代理者として従順に従っています。
フランシスコ教皇
カトリック札幌司教区:勝谷太治司教
各教区の中でさらに小さく分けられた地域「小教区」の人々の世話は司祭が当たります。司祭は司教のもとにあってそれぞれの小教区の指導をし、司教は教皇のもとにあってそれぞれの教区をおさめます。そして、教皇はキリスト御自身の導きと保護によって、全教会を指導するのです。
文:「カトリック要理の友」より抜粋。( )内は管理者。絵:カール・ブロック他
豆知識(カトリックとプロテスタント) ↑
キリスト紀元の始まった第一世紀ころから、キリストがご自分でお建てになったまことの教会は「カトリック」(普遍的)教会と呼ばれてきました。
ところが、キリストの時代から何世紀にもわたって、数多くの団体がカトリック教会以外にキリストの信仰をひろめようとしてきました。それらの中でいちばん大きな団体は、プロテスタント教会(新教)といわれています。キリストにおいて洗礼を受けるという点でキリスト教徒は皆兄弟です。
(プロテスタント)教会は、次の三つの重要な点でカトリック教会と違っています。
①教会のかしらとしての教皇を認めません。
②キリストの教えについてそれぞれ違ったことを信じています。
③教会において司祭がキリストの名によって罪をゆるし、神のめぐみを与える権能を持っていることを認めません。
カトリック教会の信者は世界中どこへ行っても、司祭、司教、教皇をキリストの代理者と認めています。その代理者の指導のもとに、すべてのカトリック信者は今日もキリストが最初に教会をお建てになって以来、カトリック教会の信者が持っていたのと全く同じ教えを信じています。
これに反して、プロテスタントの信者はお互い違ったことを信じ、司祭の指導なしに神との一致を得ようとしてい(ます)。
「わたしはよい牧者で、自分の羊を知っており、わたしの羊もわたしを知っている。…またわたしには、このおり(カトリック教会)の中にいないほかの羊もある。わたしは、それらも連れていかねばならぬ。かれらも、わたしの声をきいて、一つの群れ、ひとりの牧者となるだろう」(ヨハネ 10-14.16)